「リウマチ手記」 五嶋博子 52歳

 

2003年10月1日

 

 リウマチの症状が出始めたのは、今から4年ほど前のことでした。両手の指の関節が変形し始め、異常なほどに関節が膨れ、食器などを持つ事が出来なくなりました。痛みのひどいときは、それこそ包丁を握る事やゴミ袋を結ぶ事も、出来ませんでした。

 このように家事がおぼつかなくなり、それから1年半後には、膝にもリウマチの症状が出てきていました。とにかく、早く歩く事もできず、かがんだり膝をまげる時には激痛が走り、正座などとうてい出来ない状態でした。

 リウマチの症状が出始めた頃、ちょうど地元のリウマチ科のある病院に、相談に行きました。そこで処方されるがままの薬を、疑いもせずに飲んでいました。そのステロイドをという薬は、リウマチの治療には絶対飲んではいけないものだという事を後から知り、1年半も飲んでいたなんて、とても恐ろしい事です。その病院で、その薬を出してもらっていたにもかかわらず、病状も進行していました。

そんな時、娘の上司のお母様がリウマチで苦しんでおられ、寝たきりになっていると聞き、「私の人生もこれで終わったな。」と思っていました。そんな矢先、娘が「このままでは、母もリウマチがひどくなって、寝たきりの状態になってしまうのでは!」と心配して、インターネットで、リウマチに良い治療法はないかと調べてくれました。そこで松本医院のホームページを見つけ、患者さんの手記を読んだらしく、私にたくさんの手記を打ち出して、読むようにと手渡してくれました。

私は、その手記を読んだ時、「これなら治る。」と思う反面、「本当かしら?」と思う気持ちとで、複雑でした。地元の病院で、1年半薬を飲んでも良くなる事は無かったのに、この病院の患者さんは、東洋医学によって、リウマチを克服された方がたくさんいました。何度も何度も、その手記を読み返しました。そして一週間もしないうちに、大阪へと向かっていました。私は、このままでは仕事先にも迷惑をかけてしまうと、体も気持ちも、限界に来ていました。だから、松本医院に行ったのは、最後のカケでした。

松本先生に初めてお会いして、ステロイドを1年半も飲んでいた事をお話しすると、先生にひどく叱られ、ステロイドの事を何も知らない私は、とても情けなくなりました。でも松本先生は、何度も何度も「絶対に治してあげます。」とおっしゃって下さり、この病院で治療を受ける事を決めました。

ステロイドの量をだんだんと減らしていって、最期にステロイドを全く飲まなくなった時に、関節が痛みましたが、あの時の先生の言葉を思い出し、「絶対治ってみせる!」と、固く決心しました。

松本医院での初診の日に、血液検査をしました。私は、自宅が広島であった為、2・3ヶ月に一度しか松本医院に行けませんでしたが、2週間に一度、漢方薬を送って頂くようにしていました。漢方薬を煮出すのも、かなりの苦労ではありましたが、これで治るのならと、お風呂用と飲み薬用の漢方薬を、休むことなく毎日毎日作りました。

今まで、3回の血液検査を受けましたが、見る見るうちに、CRPと血沈は正常値に下がりました。

 

 

平成14年4月6日

平成14年7月21日

平成15年3月29日

RF(リウマチ因子)

(正常値35以下)

535

280

223

CRP

(正常値0.6以下)

 

0.3

0.1

血沈

(正常値12以下)

32

 

10

 

平成14年の4月から漢方の薬を飲み始め、6月10日頃には、関節の痛みがなくなりつつありました。それでも時々痛みがぶり返しましたが、先生に教わったように、お灸を据えると痛みがとれました。驚く事に、今では指の関節の変形も、治りつつあります。こんなに一目で分かるくらいに回復するのであれば、指の写真も撮っておけば良かったと思っています。まだまだ治療中ではありますが、この様子だと、完治までもそう遠くないのではと、喜んでいます。

先生は何時も、「僕のためじゃないよ、リウマチで苦しんでいる人のために、この手記を書くように。」とおっしゃいます。私も、患者さんの手記を読んで、松本医院に来る事を決めたので、この手記の大切さがよく分かります。

完治するまで頑張ろうと思いますので、今後もよろしくお願い致します。

 

平成15年10月1日

ごとうひろこ